ディベート概論
CoDAにおけるディベート
1.ディベートって何?
ディベートとは「公の場で討論すること」です。
ちょっと難しいようですが、法廷における裁判や、アメリカ大統領選の公開ディベートを思い浮かべるとわかりやすいでしょう。公の場で議論をしているため、 どちらも論理的に、わかりやすく自分の主張を伝えようとするようになります。
かつ、目的は相手を直接説得して打ち負かすことではありません。裁判であれば、論理と証拠の積み重ねによって自らの立場を証明し、裁判官から自分の目的と する結論を引き出すことですし、大統領選の公開ディベートであれば、聴衆の支持を得ることを目的としてスピーチを行います。
これを、各種教育・訓練効果を得るためのトレーニングとして行うのが、「アカデミックディベート」です。「アカデミックディベート」では裁判のように「肯定側・否定側」に分かれて第三者である「審査員」を説得するために議論をします。アメリカ・ヨーロッパでは初等 教育に初期の頃から導入されている他、日本においても学校教育や企業研修で、論理的思考力、クリティカルシンキング、メディアリテラシー、プレゼンテー ション能力などを養う手法として高い評価を得ています。
「ディベート」という時には、この「アカデミックディベート」のことを指します。以下ではシンプルに「ディベート」と表記します。
【アカデミック・ディベート以外のディベート】
パーラメンタリー・ディベート…イギリス議会をモデルとした、主に即興でのスピーチ能力を磨くことを目的としたディベートです。議論の内容以外の部分 (ジェスチャーやスピーチ力)なども判定の対象となることが多く、必ずしも緻密な論証は必要とされません。実際の裁判や学会討論・政策決定をモデルとして いるアカデミック・ディベートとは異なります。
【日本語ディベートと英語ディベート】
その構造や内容に大きな差はありませんが、言語が違うために、英語ディベートでは議論の内容そのもの以外の部分(英文和訳・和文英訳から始まり、論題の語 句の解釈や文法の問題などの言語学・論理学的観点など)に、準備および試合において大きな時間が割かれることも多いという特徴があります。当連盟では主に 日本語ディベートの事業を行っています。
2.アカデミック・ディベートの要件
アカデミック・ディベートとは、
ゲームです。
上記を満たさないものを通常「アカデミック・ディベート」とは呼びません。
【論題】
広義の「議論」では、往々にして「〜について」というテーマが設定ます。しかしこれでは議論が拡散してしまう上、議論自体に有益性が確保できないので、 ディベートでは「○○は××を☆☆すべし。是か否か」というテーマ設定がなされます。
例:日本は首都機能を東京から移転すべき、●●高校は制服を廃止すべき 等
そして、多くの正式なディベート大会では「政策論題」が用いられます。
つまり「○○は」の部分に「日本は(政府は)」などの公的機関名が入り、「××を」にはその機関が扱う範囲内にある問題が入ります。
【肯定側・否定側に無作為に分けられる】
もともと自分の意見などに関係なく、ディベートでは試合に際して無作為に肯定側・否定側に分けられます(大会本部によって偏りが出ないよう決定される場合 や、試合直前にくじ引きやじゃんけんなどをして決定される場合などがあります)。通常は両方の立場を体験します。
ディスカッションとは違い、中立派は存在しません。
これによって論題を賛否両方の側面から多角的に追究していくことが可能となり、また、我々が陥りがちな合理化の罠(自らの意見を補強する材料しか意識に上 らなくなる)を回避することができます。
【規定されたルールに基づく】
通常の会議や議論では、権限のある人間や発言量の多い傾向のある人間がより多く発言し、その他のメンバーはあまり発言をしないという傾向がありますが、こ れでは充分な議論に関する教育効果が確保できません。
そこでディベートには立論・質問・反駁という各発言ステージが存在し、そのステージは予め発言時間と担当者が定められています。また、そのステージの間、 担当者以外に発言権はないため、弁論等でありがちな「ヤジ」等による議論の中断もありません。
時間制限と担当制によって、全ての参加者に教育効果を確保するほか、限られた時間の中で責任を持ってすばやく主張や反論をまとめあげ、効率的に表現してい く能力が求められ、また、その能力が育ちます。
その他タイムスケジュール以外にも、純粋に「論理」で議論を戦わせるために、議論の後出しの禁止や資料の出典明示など、必然的に生まれたルールがいくつか あります。
【証明された議論】
ディベートにおいては、全ての主張に適切な理由をつける必要があります。
たとえばAとBどちらがより優れて良いのかを論じるときに、まずAが良いということと、Bが良いということ、つまり比較以前にそれらが本当に「良い」こと を証明します。
例:×野菜は体にいい ○野菜は食物繊維を含んでいるため腸内環境が改善され、体にいい(証拠資料:20xx年○○著△△)
次に、「AorB」は「〜という観点でBorAより良い」と主張し、「なぜなら〜だから」と証明します。
例:肉はスタミナという観点で野菜より体にいい。なぜならヒトが活動するためにはある程度のカロリーやアミノ酸が必要だから。
しかしその裏には「その観点は〜〜だからこの比較をするのに適している」という証明が必要となります。その裏にはさらにAとBは比較すべきなのか、そもそ も比較可能なのかどうかの証明(議論)も必要になります。
例:ヒトは幸福を最大化すべきだ。幸福に生きていくためには健康が大事な要素である(証拠資料:20xx年××省「健康の生活の満足度調査」)。健康と いう観点では肉より野菜の方が体にいいので、我々は野菜を食べるべきだ
という要領でどんどん掘り下げて、証明を繰り返し、議論していくのがディベートです。
【第三者であるジャッジを「説得」する】
ディベートは、相手を打ち負かすのが目的ではありません。「第三者を」「理論的に説得する」のが目的です。
ディベートに関するルールを理解し、十分な経験を詰んだ者がジャッジとして試合を評価し、より説得力を持って自らの立場を選択すべきという主張がなされた 方に「勝利」の判定の投票を下します。
その際、ジャッジ自身の価値観や特別な知識は除外され、ディベート内で提示された論点・知識・価値基準と一般常識にのみ基づいて判断がなされます。
※ディベーターが判断の土台を示さなければ、その部分はジャッジの個人的な裁量領域となることがあります
コミュニケーションは通常口頭のみで行われるので、明瞭な発声や聞き取りやすいスピーチが要求されます。また、第三者を説得しなければならないので、どん なに専門的でややこしいことでも、ディベーターには簡潔に分かりやすく説明する能力が要求され、あるいは鍛えられます。
- 明確な定義を持つ一つの論題に関して
- 肯定側・否定側に無作為に立場を決定された上で
- 発言時間・順序・マナーなど規定されたルールに従い
- 論拠を用いて証明された議論を用いて
- ジャッジと呼ばれる第三者を論理的に説得し、勝敗が決定される
3.議論や口論、スピーチや会議とはどう違うの?
アカデミック・ディベートでは、その訓練の効果を最大化するために、様々な工夫がなされています。
アカデミック・ディベートは、その名の通り、教育・訓練効果を得ることを第一義的な目的としており、相手を打ち負かすことを目的とする口論、自分の意見を発表し同意を得ることを目的とするスピーチ、議論そのものに目的があるわけではない会議などとは根本的に異なります。
また、単なる対戦形式の討論=ディベートではけしてありません。
しばしばテレビ番組などで対戦形式の討論がセッティングされ、「ディベート術が云々」と述べられることがありますが、ディベートの技術とは相手を論破する技術ではなく(もちろん訓練を通じて、議論の欠陥や詭弁を発見・指摘できる技術も副次的に身につきますが)、様々な材料・情報を多角的に収集・検討し、その上で合理的な判断を下していくための技術です。
4.ディベートに関するよくある誤解
誤解1:ディベートを学ぶことでどんな口げんかにも勝てるようになる
→何度も繰り返しますが、ディベートは日常の議論で勝利するための技術ではありません。
何かの物事を判断・決断しなければならない時に、必要な議論・情報を収集・精査・吟味し、最適な判断を下すための方法論であり、また、第三者に対して物事 を分かりやすく伝えるためのトレーニングツールです。
誤解2:ディベートを学ぶと反抗的になったり屁理屈ばかり言うようになる
→いいえ。逆です。
屁理屈(詭弁)では相手の反論に耐え、真に第三者を納得させることはできません。
様々な例や常識的な思考・論理をつなぎあわせて、誰にでも分かる議論を構築していくのがディベートです。これは詭弁とは正反対の考え方です。
また、物事にも様々な側面があり、心情的に納得のいかないことがあったとしても、実際には蓋然的な理由があり現実を形成していることをディベートを通じて 学ぶことになるため、徒に反抗したり一方的な観点から攻撃したりするようになることはありません。
誤解3:理屈じゃないよ、心だよ
→そのとおりです。そして、「論理」と「心」は二項対立するものではありません。
どんなに人情溢れる心があっても、的確にそれを伝えることができなければ、心は通じません。また、全体の利益を考える時に、どのような方法によるのが最も 利益・幸福が最大化されるのを考えていくのが、一般的な政策論題におけるディベートです。
5.ディベートを学ぶメリットは?
論理的思考力が身につく
証明された議論に基づいて判断を下す「第三者」の前で議論をするため、「強弁」「詭弁」「対個人的議論」「脅迫」「交渉」などを持ち出すことはできませ ん。
仮に詭弁などを用いたとしても、ディベーターはそれを看破し、反証する訓練を積んでおり、また、判定を下すジャッジも同様であるため、意味をなしません。
つまり全ての議論は、「論理的なつながり」によってのみ主張されることになります。
第三者の前でディベートを繰り返すことは、”論理的思考力を身につけるための最良のトレーニングである”と評価されています。
多角的視点を習得できる
議論を作ることは、あらゆる可能性、視点から物事を見る訓練となり、また、相手の反論に備え、そして反論するため、様々な角度から検証することになりま す。
賛否分かれる論題についてその両方の立場を経験することは、対立する意見それぞれに充分な理由が内在されていることを実感する強力な機会となります。
また、議論の構築に置いて見逃している可能性はないか、ある物事の意味は本当にそれだけなのか、様々な事象を、深く掘り下げて考えていく能力が身につきま す。
固定観念にとらわれなくなる
ディベートでは政策的に賛否が別れる論題を扱いますが、賛否両論どちらの側の議論をも行うことによって、それぞれの観念・価値観、あるいは自分自身の固定 観念に気づき、それを相対化して考えることができるようになります。
情報整理力・「聞く力」・メディアリテラシーが身につく
1.膨大な資料を管理・活用することで、文字情報の整理力が身につきます。目的の資料を探す力も身につきます。
2.反論を考えるためには相手の言うことを聞き漏らすことなく適切に理解し、かつ的確にまとめなければなりません。聞く力や、聞きながら情報や論理構造を 整理する力は格段に身につきます。
3.短い時間の中で主張を効率的に、的確に表現しなければいけないので、思考・表現の整理力が身につきます。
受験・就職・研究・その他のキャリアパスに有利に働く
文書・論文の作成、ディスカッションにおいて、これらの訓練を集中的に詰めるディベートを経験することは、大いにメリットになります。
より的確な意思決定を行う力が身につく
我々が普段無意識に膨大な数繰り返している意思決定・判断(傘を持って出かるかどうか/ある仕事を請け負うべきか否か/手術を受けるべきか否か 等)のプロセスを、メリット(ベネフィット・アドバンテージ)・デメリット(コスト・ディスアドバンテージ)比較方式等を通じて可視化・プロセス化し、そ の精度をひたすら上げていく訓練をするのがディベートです。
判断に必要な各種材料を収集し、論理的・科学的根拠に基づいてそれらを吟味し、適切な基準・ビジョンに基づいて最終的な意思決定を下すというプロセスを繰 り返し体験し訓練していくことは、社会の変化が加速し、個人あるいは組織が重大な意思決定を迫られる局面が激増した現代において、極めて強力なツールとな ります。