大学の所謂”ゼミ”でもディベートが扱われることが最近多くなり、ゼミでディベートをした経験がある方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
今回は、高校時代にディベートを経験した加藤穂高さんに、ディベートがゼミの経験に生きたこと。また、ゼミの経験がディベートに生きたことについて寄稿をしていただきました!
「ディベート」とは
「ゼミでディベートやるから教えてよ」と言われることが、たびたびあります。最近では、大学のゼミ活動でディベートを取り入れる事例が多いようです。実際、高校時代にディベートを経験した者として、ディベートを取り入れる効果はとても大きいと断言できます。
ただし、ゼミで行われる“ディベート”には様々な形態・形式があるようです。
そのため、ここでいう“ディベート”がどういうものかを最初に説明します。
ディベートとは、ある論題で肯定側と否定側に分かれ、フォーマットにしたがって議論を行い、第三者である審判が、どちらの主張により説得力があったのかで勝敗を決めるゲームです。
フォーマットとは「肯定側の主張は6分、そのあとに質疑応答が3分間」というふうにしゃべる順番や制限時間、どんな内容をしゃべるのかが定められたルールです。ちなみに、ヤジは禁止されています。また、ディベートでは、証拠資料を使用することもあります。これは自分たちの主張を強化したり、相手への反論のために使ったりします。
ディベートの最大の特徴は、肯定側になるか否定側になるかが試合ごとに変わることでしょう。そのため、ディベートをやるには、その論題に対する賛成意見も反対意見も調べる必要があります。
話す訓練としてのディベート
私は、高校時代にこのようなディベートを部活動としてやっていました。そして、大学院生になった今でも「ディベートをやっててよかった」と思うことが、たくさんあります。
例えば、論理的思考力です。論理的思考力と仰々しく言っていますが、要は「自分の考えを他の人に分かりやすく説明する力」と考えてもらえれば大丈夫です。
大学や大学院のゼミでは、よくプレゼン発表を行います。このとき、ディベートで培った論理的思考力が役に立ちます。ディベートでは、自分たちの主張を口だけで、審判に伝えなければなりません。しかも、相手から反論が来ることは分かりきっています。そのため、予想される反論に耐えうる自分たちの主張を作り、審判に分かりやすく伝える必要があります。そのため、聞く人に「本当にそうなの?」と思わせない主張を作り、それを伝える訓練としてディベートは大いに役立ちました。
ゼミでの発表も、ディベート同様に分かりやすく先生や他のゼミ生に自分の主張を伝えなければなりません。また、発表後には先生からの(辛口?)コメントや質疑応答が待っています。ディベートでの経験は、それらに耐えうるノウハウを私に授けてくれました。
加えて、個人的に大きかったのは人前でのスピーチに抵抗がなくなったことです。ディベートでは6分間や4分間というまとまった時間でスピーチを行います。スピーチをする機会は意外と学生時代ないですから、ディベートで場数を踏んだことは貴重な経験となりました。
聞く訓練としてのディベート
ディベートをやっててよかったと思うことは、発表をする時だけでなく、発表を聞く時にもあります。
ディベートでは、相手の主張に対し反論をしなければなりません。しかし、制限時間がありますから、有効な反論を取捨選択する必要があります。そのために一番大事なのは、相手が何を言いたいのかをしっかり理解することです。つまり、ディベートは話す訓練だけでなく聞く訓練にもなります。また、しっかり理解して聞こうと思うぶん、「話がつながっていないな」など分からない部分が明確になります。そのため、質疑の時に的を射た質問ができるようになります。
ゼミ発表の目的のひとつは、他の人の目を入れ自分の研究をブラッシュアップさせることです。聞く力の向上は、質疑応答を活発にし、質の良いブラッシュアップにつながります。
ゼミとディベートの相乗効果
ここまでディベートがゼミで役立ったことを書いてきましたが、逆にゼミで学んだことがディベートに役立ったこともありました。
先日、高校以来6年ぶりにディベートの大会に出場する機会をいただきました。ディベートの議論では、よく自分たちの主張をより説得的に説明するために計量経済学的な統計分析を行った論文を引用する場合が多いです。
ここで、ゼミでの知識が役に立ちました。私は、経済学を専攻しており、ゼミでは統計分析の論文を見ることが多いですし、実際に分析を行ったこともあります。この経験が今回のディベートで活かされました。たくさんある研究を見て、どの研究がよいのか、研究にどのような欠点があるのかが分かったため、自分たちの議論を強化したり、予想される反論に対策をとったりすることができました。
ディベートとゼミは相互によい効果をもたらします。
ディベートで身につく力は一生ものの力です。そして、その力は先が見えないこの社会を生き抜くための強力な武器になります。「力を身に着けるための道具」としてディベートをやってみるのはいい選択だと私は思います。
加藤さん、ご寄稿ありがとうございました!
ゼミに参加されている方は是非、大会にご参加、また見学にいらっしゃってください!